みなさんは、「失礼しました」という言い方を「謝罪」だとお考えでしょうか?
いいえ、「謝罪の言葉」だと受けとめているでしょうか?
ある会社のお届けサービスに手続きと異なる対応があり、連絡をしました。「このたびは失礼いたしました」というのが最初の言葉でした。
その後も、何かにつけて「失礼しました。こちらの手配ミスです」と。
よほどプライドの高い人なのかもしれませんね。自分がミスをしたわけではないので、心のどこかで「私は悪くない」と思っているのかも
しれません。ですが、お客様から見れば、組織内の不協和音のように聞こえます。
ある飲食店では、行くたびにお客様が接客不満を言葉にしている場面に遭遇します。もちろん当方も。
ただ、そのお店は遅い時間まで開いているので便利ではあるのです。
選択理由はそれだけです。それにしても、これだけ接客不満を言われているとリーダー従業員も慣れたもので、「申し訳ございません」と
それは申し訳なさそうに謝るのです。
ですが、当の本人はシカト。リーダー従業員らしき人も、他の従業員と無駄話ばかりしている状態。しかも、シカトの従業員は、運んできた料理を
テーブルに置く際に、左手に皿をもち、その左手の甲で食べかけの料理が入っている皿を押し出したのです(皿を置くためにどかす)。
その際にその手の甲が食べかけの料理に触れて・・・・。
シカトの君はなんのその。シカトしているので、「手が触れたわよ」と言ったところ、「失礼しました」と低い声で言っただけで、目も合わせずに
どこかに行ってしまいました。きれいなネイルとリップの赤い色だけが私の記憶に残っています。もう、笑うしかありません。目を合わせないのが
どういう意味なのか・・・・。やはりプライドが高いのかもしれません。
「私は、飲食店なんかで働きたいわけじゃない」と赤いネイルとリップが主張しているようにも。
いずれにせよ「失礼しました」を使う場面というのは、もっと選ぶべきだと思います。そもそも「失礼しました」というのは、「礼節を失く
した行動をしてしまった」という事実認定にしかすぎません。
謝罪の言葉ではないのです。本来は「失礼いたしました。(事実認定)ご迷惑をおかけして申し訳ございません」が適切な言い方だと思います。
きっとこのように説明をすれば誰でも理解をできるのでしょう。
ですが、そこに「プライド」が加味されると、「失礼しました」で終わってしまうのかもしれません。言い方を変えると「事実認定」してしまうので、
目を合わせづらいのかもしれません。
こうして顧客接点の現場では、心の通わぬ応対が繰り返されてしまいます。
それは、組織の方針や目標を社員間で共有できない残念な状況の結果でもあるのでしょう。こういう組織にはクレームが後を絶ちません。
問われているのは、組織の不協和音による不満足なサービス提供という事実です。
情緒とは、個人的な資質によるところが大きいものです。
ですが、教育をすることで意識が変わり、意識が変われば行動が変わり、行動が変われば結果が変わります。情緒とは、人と人の心がつながる糸のよう
なものです。人手がない時だからこそ、一人ひとりの応対者の「情緒」が数字創りを動かしていくのではないでしょうか。
2月7日(木)CSマネジメントセミナーでは、この「情緒」の教育について、ご説明いたします。あわせて、同日にサービスフロントのリーダーや責任者が自己成長に向けてどのようなセルフマネジメントをすればよいのか、という「セルフリーダーシップ」についてのセミナーも開催いたします。
現場リーダーの成長と共に、サービスフロントが変革されていく過程をご理解いただく機会として、ご受講いただけましたら、うれしい限りです。